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【主人公になれ】「嫌われる勇気」を要約解説しました【アドラー心理学】

本記事では、253万部売り上げたモンスター級の大ベストセラー「嫌われる勇気」を解説します。

本書は、人生の劇薬とも呼ばれる「アドラーの教え」を分かりやすくまとめた名著です。

下記のような方にお勧めの本です。

・他人の目が気になる方

・他人に嫌われたくない方

・今この瞬間を生きれてない方

 

今動画を視聴できる環境にいる方は、こちらの動画で視聴することをお勧めします!アニメ―ションスライド付きで理解しやすいと思います。内容も同じです。

 

✓本記事の内容

・自由になれ【目的論、承認欲求について】

・幸せになれ【他者貢献、劣等感、ヨコの関係について】

・自己実現で幸福になれるか?

・かぷの補足

 

各話でスライド図を挿入します。

適宜参照して、文章理解の助けにしてください♪

 

かぷ
かぷ

自分でも読みたくなった方」のためにリンク置いておきます。

 

自由になれ【目的論、承認欲求について】

本書ではまず、幸せになる大前提として、「過去のトラウマ」や「他者への承認欲求」に縛られている我々は、過去や他者から開放されて自由になる必要があると言っています。

 

・目的論で考える=“過去”からの解放

・承認欲求を捨てる=“他者”からの解放

上記について解説します。

 

目的論で考える

アドラーは「目的論」を肯定し、その対になる考えの「原因論」を否定しています。

まず目的論、原因論とは何か説明します。

原因論

「行動」と「原因」をセットで考える考え方。

例:家庭内暴力を受けた から 引きこもる

目的論

「行動」と「目的」をセットで考える考え方。

例:外に出て人に会わない ために 引きこもる

 

このように同じ行動の「引きこもる」に対して、2通りの文章を作れます。

我々現代人は、基本的に「原因論」で物事を考えます。

その証拠に原因論の文章の方がしっくりきた方が多いのではないでしょうか?

 

 

しかし、原因論ってよくよく考えると間違ってるんですよね。

間違っている点は、家庭内暴力を受けた方“全員”が引きこもっているわけではないという点です。

確かに、家庭内暴力も引きこもった一つの原因かもしれないですが、完全な理由ではありません。

 

また、アドラーは、原因論は非常に危険だと言っています。

原因論の危険性は「時制」を考えると見えてきます。

・家庭内暴力を受けた=過去

・引きこもる=現在

・人に会いたくない=現在

分かりますでしょうか。

「人に会いたくないから引きこもる」という目的論は現在で完結しているのに対し、

「家庭内暴力を受けたから引きこもる」という原因論は過去を絡めています

 

つまり、原因論は「過ぎ去った過去に縛られる考え方」であり、これがアドラーが原因論を危険視する理由です。

アドラーは「過去を言い訳にするな、お前は今この瞬間から変われるんだぞ」と言っているんです。

 

承認欲求を捨てよう

承認欲求とは「誰かに認められたいとか」「誰かに嫌われたくない」といった他社依存の欲求のことです。

承認欲求が働くことによって、不自由な生き方をしてしまっている例を紹介します。

例①:友達にカラオケ行こうと誘われて、でも自分はあんまり行きたくないなと思ったが、友達に嫌われたくないという承認欲求が働き、嫌なのにOK出してしまった。

例②:お父さんに医者になれと言われたが、でも自分は本当はなりたくない。でも、失望感されたくないという承認欲求が働き、YESと言ってしまった。

 

これらの例に対しアドラーは、ちょっと厳しいですけど、「不自由だ、他人の人生を生きるのか」と言っています。

でも、承認欲求は僕を含め、我々にこびりついてしまっているわけで、そう簡単に捨てることはできないわけです。

 

そこで、課題の分離という考え方が重要となるわけです。

課題の分離とは、自分がコントロールできる、自分の課題をはっきりさせて、それだけに注力しろ、というものです。

 

例えば、馬に水を飲ませるって言う課題があったとしますよね。

でも実はこの課題には、自分でどうにかできる、自分の課題と、自分ではどうしょうもない、他人の課題の両方が含まれてるわけです。

・馬を水辺に連れて行く=自分に出来る=自分の課題

・馬が水を飲むかどうか=自分にはどうしようもない=他人の課題

というわけです。

 

よって、先程のカラオケ行こうぜちゃんには、しっかり「行きたくない」と伝えましょう。

Noと言って嫌うかどうかは、カラオケ行こうぜちゃんの課題で、自分にはどうしようもないですからね。

医者になれ父さんの件も同じで、医者になりたくないなら、しっかりNoと伝えましょう。

Noと言って、失望するかどうかは、医者になれ父さん課題で、自分にはどうしょうもないですからね。

このように、しっかり課題の分離をする事で、自分にはどうしようないことで悩まず、また、他者の人生を生きずに済みます。

 

「自由になれパート」を図解しました。

原因論という考え方で過去に縛られ、承認欲求により他者にも縛られている我々は、自由になる事が必要である。

自由になるためには、目的論という考え方に立ち過去から開放され、課題の分離により他者から開放される必要がある。

 

それでは次に、晴れて自由になった我々は、どうすれば幸せになれるのか?について解説します。

 

幸せになれ【他者貢献、劣等感、ヨコの関係について】

他者貢献をしよう

幸せになるにはどうすればよいか、という問いに対して、アドラーは明確に、他者貢献をしろと言っています。

他者貢献とは「人のためになる事をすること」です。

例えばわかりやすいものだと、電車でお年寄りに席を譲ったり、もっと身近なものだと、お父さんが仕事をする、お母さんが家事をする、これらも、家族のためにしている事ですので、他者貢献と言えます。

 

では、なんで他者貢献をすると幸せになれるのでしょうか。

それは人がいつ幸せを感じるか、を考えると答え見えてきます。

 

人はいつ幸せを感じるかのでしょうか。

それは、自分に価値を感じた時です。具体的には、人のためになれたときや、感謝をされたときに、人は幸せだと感じます。

つまり、他者貢献をしよう、というわけです。

 

ですがここ、一点だけ注意点がありまして、それは、感謝されるために、他者貢献するのではないと言うことです。

感謝するかしないか、他人の課題ですので、課題の分離はしっかりする必要があります。

ではどうすれば良いかと言いますと、あくまで、主観的に、人のためになったなと、感じれば良いわけです。

つまり自己満で良いんです。

 

正しい劣等感を理解する

ところがなんですが、我々現代人は、とある事情で、なかなか他者貢献ができないんですよね。

まず大前提として、他者貢献は「人のためになることをすること」ですので、他者を仲間だと思う必要がありますよね

しかし、我々現代人は、他者を敵だと思う傾向にあります。

 

でもこれ、思い当たる節ありませんかね。僕は、人混みを歩いてると、すれ違う人みんな、なんとなく敵だと思っちゃってる気がしますね、少なくとも仲間だとは思えてないです。

実はこの、なんとなく世界は敵だと感じちゃうのって、間違った劣等感によるものなんですよね。

そこで、我々はまず、正しい劣等感を理解する必要があります

 

劣等感という言葉を聞いたとき、何を思い浮かべますかね。

大半の方は、他の人と比較や競争をして、自分が劣ってて、あーだめだーってなるやつ、を思い浮かべたんですけど、実はこれ間違ったダメな劣等感なんです。

何がだめかと言いますと、競争をすれば、そこには必ず勝者と敗者が生まれますよね、そうなると、どうしても世界は敵だと感じてしまうんです。

こうなると、他者貢献なんてできないですよね。

 

そこで、正しい劣等感とはどんなものかと言いますと、理想の自分と比較して、そのギャップを埋めていくというものです。

他者と比較してないので、無駄に落ち込むこともありませんし、そこには純粋な向上心しかありません。

世界を仲間だと思うためには、この正しい劣等感を理解する必要があります。

 

ヨコの関係を築く

良好な人間関係を築くためには、ヨコの関係を築くことが重要です。

例えば、自分の部下が成果を上げたとき、よくやったって声かけますよね。

でも、これってアドラーがタテの関係と呼んでるだめな関係なんです。

何がだめかって、褒められた側が、承認欲求による喜びを感じちゃうところなんですよね。この褒められた部下は、次も褒められたい、他人の課題をゴールにして、また頑張っちゃうことでしょう。

 

では、この上司はなんと声を掛ければよかったのかと言いますと、この上司は、ありがとうと、感謝を伝えれば良かったのです。

感謝はただ、自分の気持ちを伝えているだけなので、これにより対等な関係、つまりヨコの関係を築けるのです。

しかも、この部下は貢献感を感じ幸せになれますよね。

 

ただ、ここで、タテの関係の方も、承認欲求が絡んでるとはいえ、褒められれば嬉しいんだから、それもそれで幸せになんじゃないの?と思った方いませんかね?

これについて真剣に考えてみたらかなり深かったので、ここについても簡単に考察したいと思います。

 

ほめられる、つまり、承認欲求を満たせば幸せか?ということですけど、「承認欲求による幸せ」と「貢献感による幸せ」の両者を比較してみました。

まず承認欲求による幸せですが、こちらはどうしても。他者主体の幸せになってしまいます。

他者が褒めてくれれば、幸せになれますが、逆に言うと、褒めてくれなければ、幸せになれないと言うことになってしまいます。

そういった意味で不自由な幸せと言えるでしょう。そこには、必ずストレスがつきまといます。

 

一方、貢献感による幸せの方はどうでしょう。こちらは、自分が人のためになることをして、感じる幸せですので、自分主体の幸せで、自由な幸せと言えるでしょう。やはり、こうやって両者を比較すると、貢献感による幸せが、真の幸せなんだなと思いますね。

 

全体のまとめをします。

本書では幸せになること、を最終ゴールとして掲げていますが、幸せになる大前提としてまず、原因論という考え方で過去に縛られ、承認欲求により他者にも縛られている我々は、自由になる事が必要である。

そして、自由になるためには、目的論という考え方に立ち過去から開放され、課題の分離により他者から開放される必要がある。

自由になったあと、どうすれば幸せになれるのか。

その答えは、他者から貢献をしろ、つまり人のためになることをして、そこに自分の価値を感じて幸せになれ、というものでした。

しかし、ただ漠然と他者貢献しろと言われても我々には難しくて、他者貢献するには、まず他者を仲間だと思うことが必要で、そのために、間違った劣等感により、他者と比較し、世界は敵だと感じている我々は、他者ではなく己と向き合うという、正しい劣等感を理解する必要がある。

また、他者と良好な関係を築くために、部下が成果を上げたときには褒めるのではなく、感謝を伝えることにより、ヨコの関係を築いていくことが大切。

こんな話をしました。

 

と、ここまでの話を聞いて、こんな疑問持った方いませんかね。

幸せになる方法って他者貢献以外にもあるんじゃないの?例えば、夢を叶えた人生って幸せなんじゃないの?と思った方いませんかね。

実は、これについても、本書の最後で、かなり深い議論がされていたので、紹介したいと思います。

 

自己実現で幸せになれるか?

夢を叶えること、つまり、自己実現では幸せになれないのか?ってことですけども、これに対するアドラーの答えは「夢?よく分からない」です。

僕この本読んでて、ここで「は?夢叶えたら幸せやろ!」って思っちゃったんですけど、よくよく読んでいくと、めっちゃ深い事言ってたんで、具体例出しながら説明します。

 

例えば、医者になり世界中の人々を救うという夢を持った少年がいたとします。

その夢を叶えるには、勉強をがんばる必要がありますよね。

で、非常に悲しい例えなんですけど、この少年が、夢半ばで、事故でなくなったとします。

 

その場合、この人は夢を叶えられなかったんだけどどうなの?ということで、幸せか不幸か考たときに、夢が叶う=幸せだと考えると、夢が叶わなかったから不幸なんだってなっちゃいますよね。

でも、絶対この人は不幸じゃないと思いますし、この人自身も不幸だなんて思いたくないと思います。

 

ここでアドラーは、人生を線ではなく、点の連続でとらえろ、と言っています。

 

例えば、大学入試まであと1ヶ月っていう状況を考えます。

これについて、まず、人生を線で捉えた場合、大学入試こそが本番で、入試当日に人生のスポットライトがガッツリ当たっていて、それまでの勉強期間には、スポットライトがあまり当たっていない状態になります。

そうなると「勉強期間って無駄だな」とか、「勉強すんのだるいな」とか思っちゃうんですよね。

一方、人生を点の連続で考えた場合、つまり、分かりやすく言いますと、毎日をその日限りの人生だ、と思って過ごすと、勉強する一日一日が本番だと思うようになります。

そして、入試まで一日一日を丁寧に積み重ねていくと、一日一日に人生のスポットライトがビカビカとあたり、勉強のやる気も出ますし、人生も充実しますよね。

つまり、線ととらえた人生は、未来ばかりみて今現在をおそろかにした生き方であり、一方点の連続ととらえた人生は、今現在にしっかりとスポットライトを当てた生き方、と言えます。

 

皆さん、大人になったら一日が短く感じる、子供の頃はあんなに長く感じたのにな、と思ったことありませんかね。

僕はこれ、ずっと考えてきた永遠のテーマだったんですけど、この説明を聞いてやっと理解することができました。

これまでも、一応僕の中は出てて、それは、大人になったら新しいことを経験しなくなるからだと、その結果一日を短く感じると、まあそういう答えだったんですけど、もちろんこれも原因の一つだとは思うんですけど、この嫌われる勇気を読んで出たもう一つの答えは、大人になるにつれて、頭が良くなるからだ、これです。

というのも、頭が良くなると、物事の原因を考えるために過去を見たり、また、計画を立てるために未来を見たりする事ができるようになります。

このように、過去や未来を見ることができるようになってしまった大人は、今現在にスポットライトを当てることを忘れがちだと言うわけですね。

逆に、子供の頃は、良い意味で頭が良くなかったので、ただひたすら現在のみを生きていましたよね。その結果、一日を長く感じていたわけです。

 

かぷの補足

最後に、かぷの補足ということで、本書を読んで僕が感じた事も簡単にお伝えさせていただきます。

それは、アドラーの教えを徹底しすぎるのは良くない、ということです。

これは、本書で一番衝撃を受けた、課題の分離という考えについて、特に思ったんですけど、僕は、課題の分離に違反する、つまり強引に他社の領域に介入することも、時には必要だと思っています。

僕の父は勉強熱心な方で、僕は幼い頃、父から勉強を教えて貰いました。具体例には、算数を教えてもらっていて、幼稚園児の頃にもう、掛け算九九を教えられました。

今となっては本当に感謝してるんですけど、当時の僕は幼かったもので、やだー!って物凄く嫌がったり、時にはわかんなすぎて泣いたりもしてたんですけど、それでも父は諦めず、本当に粘り強く教えてくれました。

その結果、きづいたときには算数は僕の得意科目になっていて、で、算数を起点にして、もう勉強自体が得意なものになっていきました。

 

ですが、これって、勉強するという僕の課題に、父が介入したという部分で、課題の分離に違反してますよね。

ですが、今の僕は父に死ぬほど感謝してますし、父も人のためになることをした、つまり他者貢献という、幸せの最終ゴールは達成してるわけです。

ですので、時には、課題の分離に違反して、他者の領域に介入する事も必要だと思います。

 

そしてさらに、アドラーの教えを100%自分の世界観にしてしまうっていうのは、アドラーの期待に答えることで、それもそれで、課題の分離ができていませんよね。

たしかに、アドラーの教えは強烈で魅力的ですが、どの教えを、自分の世界観に採用するかは、自分で選択し、自分で決めるべきだと思います。

 

今回は以上です。