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【世界を愛せ】「幸せになる勇気」を要約解説しました【アドラー心理学】

かぷ
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本記事では、大ベストセラー「嫌われる勇気」の続編「幸せになる勇気」を要約解説します。嫌われる勇気がアドラー心理学の「基礎編」だとすると、幸せになる勇気は「応用編」です。気になってはいたけど読む時間がなかった方は是非どうぞ♪

 

今動画を視聴できる環境にいる方は、こちらの動画で視聴することをお勧めします。アニメ―ションスライド付きで理解しやすいと思います。内容も同じです^^

 

✓本記事の内容

★教育者の悩み

・ストーリーの繋がり

・褒めるのが良くない理由

・叱るのが良くない理由

・教室は民主主義国家であるべき

・では先生はどうすれば?

・前半まとめ

★愛について

・後半を一言で

・自立の定義

・具体的にどうなったら自立?

・共同体感覚とは?

・幸せになる勇気とは?

・後半まとめ

 

かぷ
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自分でも読みたくなった方」のためにリンク置いておきます。

 

教育者の悩み

ストーリーの繋がり

続編ということで、「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」のストーリーは繋がっています。

 

まず嫌われる勇気のストーリーですが、自分に自身が持てず 他人の視線が気になって仕方がない悩み多き青年が、アドラー心理学の体得者である哲人が住んでいる書斎を訪れます。

青年は哲人と対話することにより、その世界観がよりシンプルなものに改善されていきます。

最終的に悩みをすべて解決した青年は再び、現実世界に旅立って行きます。

これが嫌われる勇気のストーリーです。

 

哲人との対話後、アドラーの教えに感銘を受けた青年は、その教えを広めようと、3年間小学校の先生をやります。

青年はそこで、アドラーの教えを実践して、褒めることをしなかったり、叱る事をしなかったりしますが、その結果、生徒に「あの先生は何しても怒らないぞ」となめられます笑。

褒めないっていうのはまだ良かったんでしょうけど、叱らないっていうのが良くなかったんしょうね。

その結果、青年の受け持つクラスは荒れに荒れてしまうわけです。

そして、青年は「アドラー心理学クソじゃねえか!」「現実では使いモンにならねえじゃねえか!」と怒り狂い、再び哲人の書斎を訪れます。

ここからの青年と哲人の対話が本書、幸せになる勇気の内容です。

 

褒めるのが良くない理由

青年は、教育に褒める、叱るはやっぱり必要なんじゃないかと考えます。ですが、当然、哲人は、褒める、叱るは良くないと反論します。

それでは、褒める、叱るはどのように良くないのでしょうか。

まず褒めるについてですが、褒めるのが良くない理由は、ズバリ競争が生まれるからです。

先生が生徒を誉めれば、生徒は自分が褒められれば誇らしいし、逆に他の生徒が褒められれば悔しいと思うようになります。

そこでいかに、先生に多く褒められるか、という競争が生まれます。

そうなるとどうなるか。生徒は他の生徒を敵だと思うようになり、世界は敵だと思うようになります。

アドラーの言う幸せのゴールは「共同体感覚」で「他者を仲間だと思えること」であるので、他者を敵だと思ってしまってはこの共同体感覚に辿り着けません。この「共同体感覚」については、後半パートで詳しく説明します。

また、先生に褒められるという他人の課題を自分の目標に設定してしまうという点でも良くないですね。

 

叱るのが良くない理由

次に叱るについてですが、まず大前提として、アドラーは、教育者は、生徒と対等の立場でコミュニケーションを取らなければ行けないと言います。

叱るとは「生徒とのコミュニケーションを煩わしく感じ、手っ取り早く屈服させようとする行為」です。

そういった意味でアドラーは、叱るという行為をコミュニケーションの暴力だと言っています。

コミュニケーションの暴力を続けていけば、当然、生徒の心は離れていっていまいます。

 

さらに、また別の視点で、「生徒が問題行動を起こす理由」を考えると、叱ると言う行為の欠点が見えてきます。

生徒は問題行動を起こす理由はズバリ「注目を得たいから」です。

問題行動を起こす生徒には「特別な地位を得たい」という欲求が存在していて、最初は「褒められる事」で特別な地位を得ようとしますが、それに挫折した生徒は、次の段階として、たとえ叱られるというかたちであっても、注目を得て特別な地位を得たいと思うようになります。

そしてそのような生徒は、叱られるために問題行動を起こしているので、その生徒叱ったところで、当然問題行動をやめさせることはできません。

では、問題行動を起こす生徒にはどう対処すれば良いのでしょうか。

それは、「人と違うこと、特別であることに価値はないんだよ、お前はお前であることに価値があるんだよ」と伝えることです。

つまり、普通であることの勇気を教えてあげましょう。

 

教室は民主主義国家であるべき

アドラーは、学校の教室は「みんなが平等である、民主主義国家であるべきだ」と言っています。

この国家には先生ももちろん含まれていて、先生が教室のリーダーになってはいけないということです。

ですが現実に、大半の教育者は、この青年のように、褒める、叱ると言う行為により教室のリーダーとなってしまっていますよね。

 

では先生はどうすれば?

教育者はどうすればよいのでしょうか。何を行動指針として、生徒と接すれば良いのでしょうか。

それは「生徒と対等の立場に立ち、互いに尊敬しあえる関係になること」です。

これにより、他者を仲間だと思える意識「共同体感覚」が生徒の中で育っていきます。

共同体感覚という言葉については、後半パートで詳しく説明します。

この共同体感覚を育てる、最初の場が、小学校だとアドラーは言います。

でも生徒は子供ですから、子供と尊敬しあえる関係になれと言われても難しいですよね。

 

では、どうすれば生徒と尊敬しあえる関係になれるのでしょうか。本書には具体的な行動が2つ記されています。

・自分から尊敬する

・他者の関心事に関心を寄せる

 

まずは「自分から尊敬する」についてです。

有名な言葉に「与えよ、さらば与えられん」という言葉がありまして、「欲しかったら、まずは自分から与えなさい、そうすればあたえられるだろう」という意味の言葉ですが、尊敬も同じで、「尊敬して欲しかったら、まずは自分から尊敬しなさい」とアドラーは言っています。

受け身でいてはダメで、自分から行動することが大事ということですね。

 

次に「他者の関心事に関心を寄せる」についてです。

普通に考えて、小学校低学年の子供を尊敬するってかなりハードル高いですよね。

そこで「他者の関心事に関心を寄せる」という技を実践しましょう。

具体的には、例えば、子供が消しゴムのカスをまるめて練り消しを作っていたとしましょう。これ子供の頃よくやる遊びですよね。僕もやってました。

ですが、たいていの大人は、その行為を、「子供だな~かわいいな~」と一歩引いて見てしまいます。

でもそれでは尊敬しあえる「対等な関係」は築けません。

そこで、「面白そうだね。」とか「練り消し大きくなったね」と対等な目線で話しかけて見ましょう。

そうすれば、生徒も心を開いてくれることでしょう。

このように他者の関心事に関心を寄せることで、その人とより深い関係を築くことができます。

この「他者の関心事に関心を寄せる」っていうのは、対人関係での、かなり強力なテクニックだと思いまして、学校や会社で仲良くなりたい人がいる場合は、その人の関心事に関心を寄せることで、その人とぎゅっと距離を詰められると思います。

 

前半まとめ

前半パートの内容をまとめますと、まず、学校教育において、褒める、叱るはよくない。その理由は、褒められれば、どうしても他者よりも多く褒められようとしてしまい、競争が生まれてしまうからである。また、叱るという行為は、相手を手っ取り早く屈服させようとする、コミュニケーションの暴力であり、さらに問題行動を起こす生徒は、叱られて注目されることを目的としてるので、当然叱っても、問題行動をやめさせることはできない。では教育者は生徒とどう接すれば良いか。それは、生徒と対等の立場に立ち、互いに尊敬しあえる関係になることです。そのための具体的な行動も2つ記されていて、それは、自分から尊敬する、他者の関心事に関心を寄せるです。

 

愛について

後半を一言で

後半パートの内容を簡潔に一言で言ってしまうと「愛し、自立し、共同体感覚にたどり着け」です。もちろんこれだけ聞いても、分からないと思いますので、今から分かりやすく丁寧に説明していきますのでぜひついて来て下さい。

 

自立の定義

まずは、アドラー心理学における「自立の定義」について説明します。

「自立」という言葉を聞いて、大半の方は「社会人になって、経済的に親元を離れること」を思い浮かべるでしょう。

ですが、アドラー心理学における「自立」とは、「自己中心性からの脱却」です。

これを理解するには、赤ん坊を例に挙げると分かりやすいです。

赤ん坊は、この世に生まれた瞬間から「世界の中心」に君臨しています。

周囲の人は常に赤ん坊を気にかけ、あやし、食事を与え、排せつの世話さえしてくれます。

赤ん坊が笑えば世界が笑い、泣けば世界が動く、まさに世界の中心です。

アドラーは赤ん坊の時代を人生の黄金時代と呼んでいます。

つまり、この赤ん坊時代は「自己中心性MAX」であり、ここからの脱却が「自立である」とアドラー心理学では定義します。

 

具体的にどうなったら自立?

では、具体的にいつ、どうなったら自立したと言えるのでしょうか。

それは、「人生のタスク」を考えると答えが見えてきます。人生のタスクとは、人生でやらなければいけない課題のことですね。

その内容がどれも他者との交流ですので、交流のタスクと言った方が直接的で分かりやすいかもしれません。

人生における他者との交流のレベルには、仕事の関係、交友の関係、愛の関係の3段階存在します。

既に予想が付いた方もいるかもしれませんが、交流のレベルが最も低いのが、仕事の関係、交友のレベルが最も高いのが、愛の関係です。

まず左2つの、仕事の関係と交友の関係ですが、仕事の関係=信用の関係、交友の関係=信頼の関係と言えます。

信用と信頼は何が違うのかと言いますと、まず信用は「条件付きで信じること」です。

例えば、ローンの奨学金を考えると分かりやすいんですけど、ローンの奨学金は、大学卒業後に返さなきゃいけない奨学金のことで、借りる際に保証人を立てなきゃいけないんですよね。

で、この保証人っていうのが条件付きってことで、奨学金を貸す機関の目線「お金を貸すって点である程度は信頼してるけど、でもあんたが返せなくなったら保証人に返してもらうからね、保証人を立ててくれるなら信じるよ」と言っている訳です。

これが、信用の関係です。

 

次に信頼の関係についてですが、これは「一切の条件なしで信じるよ」ってもので、先ほどのお金の貸し借りの話だと、もう完全に信じてるから、保証人とか立てなくても、全然お金貸せるよって関係ですね。

もうこれはその人を純粋に好きだから成り立つ関係ですね。

そういった意味で、仕事の関係よりも上位の関係と言えるでしょう。

 

もう少し、この仕事の関係、交友の関係について掘り下げます。

次は、これらの関係にある人に対してする行動が、自分のためなのか、相手のためなのか、つまり利己的なのか、利他的なのかを考えます。

まず仕事の関係についてですが、話をシンプルにするために、はるか昔、縄文時代の人々の仕事を例に出します。

縄文時代の人々の目標は、生き抜くこと、ただそれだけですので、彼らの主な仕事は「食料調達」です。

食料調達という仕事は「武器の作成→狩り」の2STEPで行われます。

もしここで、自分一人しかいなくてボッチなら、武器作成も狩りも自分一人でやらなければいけないわけですが、集団で生活していれば、手先が器用な人が武器を作り、力自慢の筋肉盛り盛りマッチョマンは狩りをするというように、得意不得意で仕事を分けて、分業すれば良いわけです。

そして、この分業が利己的か、利他的かを考えますと、まず第一に、自分が食料にありつくために自分の仕事をしてるわけなので、まずは自分のため、つまり利己的で、その結果、集団全体の生産性が向上するという点で他者のためにもなっているので、第二に利他的であると言えます。

まずは自分のため、そしてその結果他者のためになったって感じです。ここで重要なのは、仕事は基本自分のためにやってるってことですね。

 

次に交友の関係を見ていきますと、これは一目瞭然で、一切の条件なしでお金を貸すわけですから、利他的と言えるでしょう。

簡潔に言うと、仕事の関係は利己的、交友の関係は利他的と言うことです。

 

そして、これら仕事、交友のさらに上位の関係が、愛の関係でして、これはズバリ「私たちの幸せを築くことを目的とする関係」です。

つまり、わたし、あなたよりも上位の存在として、わたしたちを置くということです。

よって、先ほどのように、利己的、利他的で考えると、私のためでもなく、あなたのためでもなく、私たちのためなので、利己利他どちらでもないと言えます。

 

そして誰かと愛の関係と築くということは、人生の主人公をわたしから、私たちに変更するということで、ここで初めて、わたしからの脱却、つまり自己中心性から脱却することができるので、やっとここで真の意味で「自立」ができるわけです。

つまり、この世に生まれた直後の赤ん坊の時代が、自己中心性MAXで、誰かを愛することで、自己中心性を脱却し、自立できるというわけです。

いや~自立するって難しいですよね。もし自分が、40歳、50歳になっても、誰かを愛さずに独り身だったら、自立できてないってことになりますからね。

まあでも、愛する人ができ、自分より大切なものができたら、やっとそこで自己中をやめることができるんだという、この点に関してはまあ納得はいきますね。

 

共同体感覚とは?

まず、言うまでもなく愛は二人からですよね。

そして、この関係を全世界の人々に広げていく、これが今までずっと言ってきた「共同体感覚」です。

つまり他者とのを仲間だと思えることであり、幸せのゴールですね。

人生の主人公を「私」から「私達」にして、最終的には「全員」にするわけです。

めっちゃムズいですよね。もう無理ゲーです笑。

でも、人は自分の居場所を確認できたり、自分に価値を感じたときに幸せだと感じますが、まさに、他者を仲間だと思えれば、そこに自分の居場所を感じ、他者を仲間だと思えれば、心から他者貢献出来て、自分に価値を感じれるということで、まあ一応言っていることは理解はできますよね。

 

幸せになる勇気とは?

やっとここで、本書のタイトル「幸せになる勇気」の意味を説明できます。

順序だてて説明していきますと、まず幸せのゴールは共同体感覚であり、その一歩目は「愛の関係」です。

そして誰かと愛の関係になるってことは、その人と愛の関係を築く決意をする必要があるってことで、その人を愛することを決意する勇気、これが幸せになる勇気です。

つまり、幸せになる勇気をもって、愛の関係を築き、そして幸せのゴール共同体感覚に辿り着きましょう、ということです。

 

後半まとめ

後半パートの内容をまとめますと、まず赤ん坊時代は、世界の中心であり、自己中心性MAXである。そこから脱却するためには、仕事、交友、愛の3段階の関係のうち、愛の関係に達することで、人生の主人公を「わたし」から「わたしたち」に変更する必要がある。そこで我々は真の意味で自立できる。そして愛の関係は二人からですが、その関係を全世界の人々に広げていくことで、幸せのゴール=共同体感覚に達することができる。そんな話をしました。

 

ここまで話を聞けば、前半の教育者の話も、もう少し深く理解することができます。

前半では教育者は生徒と互いに尊敬しあえる関係を築く必要があるという話をしましたが、尊敬しあえる関係とは、仕事、交友、愛のうち、レベル2の交友の関係のことで、それを教えてあげることで、幸せのゴール、共同体感覚への道を一歩進めてあげましょうと言うことですね。

これが教育者の仕事だとアドラーは言います。

 

以上で本書の解説は終わらせて頂きます。

長くなりましたが、最後までお読み頂きありがとうございました^^